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【歴史2 1972年】高校・・鬼監督との出会い

小学時代から学業がクラス一二番だった私は、進学校の清風南海高校に進みました。テニスは趣味で続ける目的で迷わず入部しました。

それが思惑外!雨の初日に退部を考えました。
休みだろうと思っていたら、雨の日の恒例だという7階の階段室まで40往復のランニングの歓待を受けたからです。

鬼の富岡先生の練習は予感をはるかに超えていました。
夏には自転車のハンドルにもたれ掛かって帰宅しました。
1時間は食事も出来ずにソファーに倒れ込みました。

そんな姿を見かねた両親は何度も退部を促しました。
しかし先生の休んだ日が天国に思えるほど嫌いだった先生なのに、その訓話をとにかく信じた私は、先生と同じ言葉で両親に反論していました。
『苦しいからと、つまづいたからと、途中でテニス部を辞めるような人間は、社会に出てからも人生の落伍者になる!』
と。

学年トップ10の成績で入学した学力は見る見る下がり、三年生の春には最下位近くに落ちました。
しかし私はもう一つの先生の訓話を信じました。
『お前らにはテニスを通じて身につけた根性と体力がある。』
『勉強も夜中三時までやれっ!』
本当に夜中三時まで勉強し、半年でトップ50にカムバックしました。

学業最優先の高校でしたが、私は富岡先生に出会わずに順調にトップに居続けたかも知れない高校時代より、一度底まで落ちて這い上がった高校時代を誇りに思います。辞めていたら今の私は無かったし、私の教え子達の戦績も無かったと思うと感慨深いです。

清風南海時代の出会いは決して鬼だけではありません。
当の富岡先生の思い出にも、実家で釣り船に乗せて頂いた、今でも鮮明な楽しいシーンがあります。
後に仲人を引き受けて頂くことになる、今は亡き長谷川先生にもよく試合をして頂きました。
当時の副校長で今の校長の平岡正巳先生にも、直々に試合をして頂きました。

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この記事を書いた人

代表のアバター 代表 テニストピア

ジュニア指導者とチューンナップ職人の二足のワラジを履く者です。

このブログは相乗効果でそれぞれの道を極めてきた道標です。

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