父増田勇が 去る令和6年7月31日 93歳にて永眠いたしました
グループホームで水分摂取不足から腎不全を起こして入院中でした
前日には初めての食事も取れるまで回復していたのですが 突然のことでした
父は大人しい性格のため 何か偉大な功を成したという人生ではなかったかなと思いました
しかし思い返すとしっかりとありました
大阪米穀株式会社の営業部長として大阪府の全百貨店と米屋を奔走して、いの一番とプラッシーを拡販したこと
阪口しんろくさんの市会議員,市長を通じて 初当選から全ての当選を後援会会長として支えたこと
清風学園に同窓会を設立して会長を務めたこと
大阪南警察署から交通指導員として表彰されて 警察の紋章のついた白ヘルをもらったことは父の自慢でした
父の一番の功績は「工夫しぃ」と「飛び切りの手先の器用さ」のDNAを私に手渡してくれたことです
機種ごとに違う原形に仕上げる張り方 高難度の加工技を要するテニストピアスペックを生み出す基となりました
テニスコート一面ぎりぎり収まる田んぼを残してくれたこともそれに加わります
父と一緒に作ったテニスコートは 全国選手18名全国優勝5名のジュニア輩出の礎となりました
葬儀は故人の意思により 8月2日 近親者のみが集い家族葬にて相済ませました
故人が生前賜りましたご厚誼につきまして深謝申し上げます