4月20日午後9時、待ち兼ねていたワンダフルライフを見ました。
初回ゲストが、フィギュアの名コーチ佐藤信夫氏だったからです。
街のコーチが、世界的名コーチに共通点を求めて意味があるか?
自己満足や自己弁護を差引けば、残るものは無いかも知れません。
一人の指導者が、その人生で体得するものには限りがあります。
他の指導者の生き方に触れることで
指導力の限界点を少しは延伸できるかなとの思いがあります。
興味の深かった理由は二つ。
1.基礎練習に重点を置くコーチング。
選手には、飽き飽きするほど何時間も同じ基礎練習を繰り返すそうです。
ジュニア教室では、時間を区切ったマンツーマンの指導をするそうです。
2.優しそうな笑顔の反面、激しく怒鳴る厳しいコーチング。
口答えやひねくれた態度の生徒にリンクをパイプ椅子が滑って来たそうです。
中野友加里談では「先生はずるい。優しそうなのにあんなに恐い人はいない。」
1.について
同感した言葉
『フィギュアというスポーツはあまりにも細かい。やることが。』
『だから一つつづ教わって、一つづつ身に付けていかないと、その先には繋がって行かない。』
私は、テニストピアの追求するテニスはフィギュアだと説いてきました。
難易度の高いテクニックを身につけて、緊張する本番でそれを演じる。
演じきったとき、勝利は自分のものとなっている。
そこが同じだと。
それがマンツーマンで一つの技術に時間を掛けて、出来るまで諦めずに取り組む姿勢や、トップ選手だけでなく一般ジュニアにも熱心に指導する姿など・・・
わずかの言葉と映像でしたが、指導の共通点を感じることができました。
2.について
同感した言葉1
『本当は友達になりたいんだけれども』
『友達になりきったら言うことを聞かなくなるから、そこはやっぱりね。』
『どうしても、嫌われ者、怖い存在ではいなきゃいけない。』
友達関係を築けば、見かけの指導は楽です。
怖いだけの権力に走れば、見かけの指導は楽です。
指導力あるコーチには、両方要らないはず。
名コーチにして、なぜ嫌われ怖がられることが必要なのか?
その理由まで語っていない点が残念です。
しかし、なぜかホッとしてしまう、育成コース生には厳しい私でした。
同感した言葉2
『怒るときは激しく怒ります。』
『もう、切れちゃったらとことん怒ります。本当に怒ります。』
『で、次の日来てくれるかなぁ?って本人の顔見るまではその心配なこと。』
これほどのコーチでも、そんな心配するんですね。
私も何度心配したことか。
って・・・親が来させなくなる心配ですが。
佐藤コーチぐらいになると親は我慢しますよね。
意外だった言葉
『(とことん怒ることについて)でもいいんです。』
『計算して、よしここで怒ってやろうっなんて怒った時は、やっぱり後にずうっと残ってしまいます。』
私は若い頃、自然発火で爆発させていました。
歳を重ねて、それを減らしてきました。
計算ずくの激怒の方が後に残るものって、真剣に接しなかった後悔でしょうか?
確かにそれも言えます。
私が真剣に怒る時、私の性格が厳しいからではなく、ジュニアテニス界の現実が厳しいのだと思う時だからです。
浅田真央
奇しくも近年、私は安鳩方を浅田真央だと位置づけていました。
ファンが惚れてくれるような栄姿颯爽のテニスを追求しました。
難易度の高い技の演技に緊張して、実力を発揮できない場面も似ていました。
だから、世界選手権でオリンピックの代わりの金メダルを佐藤コーチの首に掛けるシーンの、二人の笑顔には涙が出ました。
だから、怒りんぼの信夫先生に、なんか親しみを感じるのです。