“子供のころ破った障子をいま貼り替えてる”
テレビで紹介された、ある母親の短い詩です。
20年以上前なので言葉に記憶違いがあるかも知れません‥
背景はこうです。
“子供のころ、よく障子を破って叱られたものです。”
“そんな子が母となり、わが子が破った障子を貼替えていて、ふと思いました。”
“「子供には無理だったあの時の障子の貼替えを、親となった今、代ってやっているんだな」と。”
私はこの詩を、テニス指導の道しるべとして、しばしば引用して来ました。
意図はこうです。
“初級者はラリーや試合で上級者に迷惑をかけます。”
“でも迷惑をかけるのは仕方ないことです。”
“上級者になった時、嫌な顔せず、初級者の相手をしてお返しすれば良いのです。”
そんな私には、大嫌いな、ジュニアの親の精神があります。
『下手な奴とは打たされるなよ! 上手い奴とだけ打たしてもらえよ!』
この精神に出くわした時、私はそれを尊重してやろうとします。
上手い子から見れば、その子は下手な子です。
その子が尊重してほしい「下手な子と打ちたくない精神」を
相手にも尊重して、全く同じレベルの子を探します。
しかしそんな子は、なかなか存在しません。
その子には練習相手はいないと告げます。
しかしこれだけなら
根っから自己中な親か、実るほど頭をもたげる親の、強い反感を買います。
これを言わずに弱者と練習させたら、陰でもっと強烈な反感を買います。
実は、反感には情状酌量の余地もあります。
部活ではスタンダードである、冒頭の詩にある順繰りの精神は
スタートも、掛けたお金も違う、民間スクールには根付きにくいからです。
よって、私は加えて説きます。
“どの段階でも、また成長すればするほど、強者との練習は重要です。”
“しかし、成長過程では弱者との練習も不可欠です。”
自分の未熟さの認識は、強者に思い知らされますが
耐えて忍んでロブの機会は、強者相手の練習に恵まれますが
アプローチやウイナーの機会は、弱者相手の練習で恵まれるからです。
ノビノビとした攻撃は、負けて元々の強者相手では容易ですが
緊張下での攻撃は、絶対負けられない弱者相手で鍛えられるからです。
緊張下での安全策も、絶対負けられない弱者相手に鍛えられるからです。
弱者相手の思い通りのショットの蓄積は、結構自信をもたらすからです。
私はもう一つ説きます。
“弱者に快勝するテクニックとメンタルを磨くことは、大きな大会のシード選手に成長した将来、前半戦を難なく勝ち上がる能力として、上位進出をフィジカル面で大いにアシストしてくれます。”
弱者と練習したくない精神を相手にも尊重されて
運良く見つかった全く同じ実力の相手とだけ練習している子より
弱者と練習したくない精神を相手には我慢(ではないが)してもらって
強者とだけ練習した子より
強者と弱者とバランス良く練習した子の方が断然強くなります。
実績ある指導者は、全てをひっくるめて、コーディネートする能力に長けています。
私もそのコーディネートに大いに自信があります。
父母には、信じてついて来てもらいたいものです。
って、今、ちゃんとついて来てくれてます。