【テニストピア歴史の更新です】
歴史の記述がずいぶん滞りました。
現実の激動の一年、過去に目を向ける余裕がなかったように思います。
2004年関西Jr.決勝での理不尽な事件を受けて、全国へのはしごを外された私が、次に教え子を連れてくるまで、全日本Jr.の会場へ足を踏み入れない誓いを立てた時点で、歴史の更新は止まっていたはずです。
というわけで、この年の全日本Jr.の本校ジュニアのダブルス優勝は観ていません。
そして私の指導力の矛先は、小1〜園児からこぞって全国を目指してスタートしていた7名のELITE生に一斉に向けられることとなりました。
当時私はワイフに何度もたしなめられました。
『またサテライトまで同行するの?! 』
『今まで、関西サーキットすら一度も観たことがなかったのに!』
私はその都度、切り捨てました。
『うるさい!』
『この子らを全国選手に育てるまでは何だってする!』
空白期に入った半年後の2005年の1月。
既に小3の角矢安鳩方は、京都ジュニアサーキットチャンピオン大会U9で優勝するまでに頭角を現していました。
2005年2月。
京都ジュニア実行委員会の大会で安鳩方(小3)が準優勝、德田直子(小3)が三位。
当時のジュニア達には、お手本とする先輩がいないデメリットと引き換えに、民間ローカル大会まで私が同行するメリットがもたらされました。
試合分析→個人レッスン→実戦練習→試合分析→の短い周期でのサイクルの効果は絶大でした。
この頃の経験から、現在の掲示板に『同行無くして上達無し』が掲げられています。
2005年8月大阪サマージュニアU11で小4の安鳩方は単で準優勝。
安鳩方と小5の岡崎奈々のダブルスは初優勝。
2005年12月、安鳩方は次ぐ大阪冬期ジュニアU11でも単で準優勝。
安鳩方,奈々のダブルスは夏から連覇。
2006年3月。
安鳩方は大阪春季ジュニアU12単で念願の初優勝を果たしました。
宿敵辻佳奈美選手に、ネットプレーのラッシュで勝ちました。
同大会、安鳩方,奈々のダブルスは夏から三連覇を達成しました。
また、金川美咲紀(小3)も単SFで安鳩方に敗れたものの堂々の三位。
ここに登場する子達はみな片手バックです。
これ以降の私のジュニア育成は、全て片手バックでのスタートとしました。
この春、残念なことに、将来を任せるつもりだったコーチが、数人のジュニアを引き抜いて独立しました。
安鳩方は、小4にして全国選抜Jr.U12関西予選をノーシードから三位に入賞しました。
安鳩方は、小5に上がった5月、全国選手第9号として全国選抜Jr.に出場し、本校の全国選手空白期間に二年で終止符を打ってくれました。
小5にして健闘のBEST8でした。
更に7月、安鳩方は全国小学生に出場しました。
小5にして健闘のBEST8でした。
8月の関西Jr.U12では、安鳩方はシングルスでNO.1シードに惜敗の三位でした。
安鳩方,奈々のダブルスは準優勝でした。
続く全日本ジュニア。
U12に安鳩方の単、安鳩方と岡崎奈々(全国選手第10号)複出場をもって、靭テニスセンターへ足を踏み入れない、私の誓いは解かれました。
この全日本Jr.は、両種目共ににBest8でした。