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【歴史】スクール日本一へ道 序章二

古いテニス理論が育ての親
開業当時、古い常識が強固に蔓延していました。
『踏み出しながら体重移動で打つストローク』
『腰の高さのフラット至上主義のストローク』
『真横を向いてから踏み出すボレー』
『振ってはならないボレー』
『肩で振り回すサーブ』

そんな世相の中、私の指導はしばしば酷評の噂にさらされました。
私のテニスを受け入れてくれるのは、何も知らない初心者だけでした。
異端児は世間の風がモウチベーションを高めてくれるものだと知りました。

開業時のママさんが育ての親
最先端テニスは、理論上は理解できても、実現できたら有効性が高そうでも、指導法が確立されていません。
私の目前にいるのは、動機も運動能力も低く練習量も少ないママさんです。
最先端テニスを修得させようとしても困難を極めました。
「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス」と、私は工夫に工夫を積み重ねました。

腰掛けジュニアが育ての親
ママさん相手に指導力を磨いた私は、数年後ジュニアに力を入れ始めました。
しかしドローを見た相手にとってテニストピアは『ラッキー!』の対象でした。

また、ほとんどのジュニアが腰掛けでした。
『塾の時間割が変わったから辞めます』
『中学に上がったから部活に入るので辞めます』
と。

私は「こう言わせてやる」と決意を込めた眼で、後ろ姿を何人も見送りました。
『塾の時間割が変わったから塾を辞めてきました』
『中学の部活よりこちらを取ります』
と。

しかしテニストピアは約十年間、私の指導能力は、極度の過剰品質状態が続くことになります。

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