1980年5月3日、テニストピアは開店を果たしました。
先祖代々受け継いだ田畑が、借入資金を生んでくれました。
父の同窓生のデサントの藤代さんには、仕入れ先から店のロゴ,包装紙,紙袋まで細かく手配して頂きました。
親戚の建設業の宮崎組には、店舗を突貫かつ安く建てて頂きました。
従兄の田野泰偉さんには、ダンロップを紹介して頂きました。
専門店の命であるガット張りにおいて、私の天性の手先の器用さは、短期間の修行期間にもかかわらず既に非凡さを発揮していました。
そこには大学でしぼられた材料力学が、ガット張りに大いに活かされました。
また木材工学は、短期間だったものの会社での研究開発実務と相まって、ウッドラケット全盛時代にあって、テニスショップを超えたラケット掌握をもたらしました。
また私の周りは恩師と先輩のテニス部で固められていました。
清風高校の富岡先生には、清風南海で練習する黄金期の生徒のガット張りを多数回して下さいました。
清風南海高校の平岡副校長と長谷川先生には、卒業生を大切にする校風を越えて特に取り立てて頂きました。
高石中学校の安井先生には、その後、高南、取石と移られて退官されるまで、ずっと格別のご愛顧を賜ることとなりました。
高石高校の柳沼先生は高石中学校テニス部の一つ先輩であり、ずいぶん可愛がって頂きました。
羽衣学園テニス部も、心強いスタッフとして入った従妹の奥野真弓がソフトボールで活躍した母校であり、歴代の顧問の先生にご愛顧を賜りました。
母は好きな踊りをやめて、店に入ってくれました。
大学時代に見つけた将来の女店員も、開店セールに駆けつけてくれました。
こうして書いていると、過去の点と点が結びついたことに感動するとともに、それぞれの点におられた、感謝の一言では言い尽くせない方々のお顔が次々に浮かんでまいります。