オイルショック後の就職難に有名住宅建材メーカーに就職口を射止めました。
営業職だけの募集だったのに、入社式の辞令には私だけ開発部門の配属先が書かれていました。
高校時代の集中勉強の習慣が、私の成績証明書に『優』をずらりと並べていたからかも知れません。
理系の成績が優秀だった私は、技術職に大喜びました。
日曜大工大好き少年、ラジコンバギー改造大好き少年の私の天性の腕の器用さは、色々なシーンで活かされそうでした。
約一年後、会社初の試みで、私は筑波大学人間工学部への半年間の研修生に選ばれました。
開発部の将来のリーダー養成だとのことで。
しかし私はそれを辞退することになります。
入社して私は無口だった自分が一層暗くなっていくことへの自己嫌悪を感じ始めました。
会社に着くと毎日のようにトイレに駆け込む日々、まぶたのピクピクが止まらない日々が続きました。
私は半年後、田んぼだった自宅前に壁打ち場を作って土日にテニスで気晴らしをしようと思いつきました。
そして測ってみたら、あぜ道の袋小路だったその土地は、一部を市役所前通りに買収され、自宅を除いた部分にちょうどコート一面の広さが残っていたのです。
私は、大げさですが神様のお告げのように感じ、テニスコート作りを決めました。
けれど、その時点では決して会社を辞める決意をしたわけではありませんでした。
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